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摘要:魯迅の小説『故郷』とその訳文を合わせて読んだが、中日言語表現の相違及びその翻訳について、いろいろと気になることがある。ここでその中のいくつかの例文を取り上げ、筆者なりの考えを述べる。「故郷(2)」とは原文の「哦,我记得了。我孩子时候,在斜对门的豆腐店里确乎终日坐着一个杨二嫂,人都叫伊“豆腐西施”。」から、終わるまでの部分である。以下は訳文1:井上昇の訳文で、訳文2:竹内好の訳文で、訳文3:井上紅梅の訳文と三つの訳文を並べ、比較しながら、筆者なりの考えを述べてみたいと思う。また、一から十五までの例文は原文の順序による取り出したものである。
关键词:新明解;広辞苑;日语概说
中图分类号:H36 文献标识码:A 文章编号:1009-0118(2011)-11-0-01
一、感動詞「哦」の翻訳、また副詞「确乎」の翻訳
原文:哦,我记得了。我孩子时候,在斜对门的豆腐店里确乎终日坐着一个杨二嫂,人都叫伊“豆腐西施”。
訳文1:ああ、思い出した。子どものころ、筋向いの豆腐屋にたしかに一日中楊二嫂がすわっていて、みんな「豆腐屋小町」と呼んでいたものだった。
訳文3:おおそう言われると想い出した。わたしの子供の時分、すじ向うの豆腐屋の奥に一日坐り込んでいたのがたしか楊二嫂とか言った。彼女は近処で評判の「豆腐西施」で…
€L苤泄Zの感動詞「哦」の訳語はまた「ああ?そうそう?おお」という三つの感動詞である。「ああ」という感動詞はここで、物事に感じて出す声(驚き?悲しみ?喜び?嘆きなどを表す)との意味である。「そう」は感動詞として、相手の言葉をごく軽く気持ちで肯定したり問い返したり何かを思いついたりした時などに出す語である。「おお」は思いついた時などの感動の声である。つまり、この三つの感動詞は意味が大体同じである。しかし、位相においては、注意すべきところがある。皮细庚の『日语概说』P394にある「感叹词中有一部分词语在使用时有男女之别。主要为男性使用的词语有ほう?おお?おおい?なあ?いよう等」によると、「おお」は男性用語ということがわかる。すなわち、訳文1と訳文2は人称にこだわらないが、訳文3は主人公の性別をも考慮した。
€L埽堡稀袱郡筏恕工趣いΔ长趣肖恰钍悉韦长趣悉蓼烙洃洡诵陇筏い长趣铯搿#菠稀袱饯Δいà小埂ⅳ蓼俊浮郡盲薄工趣いρ匀~遣で、幼いころの記憶にさかのぼる気がする。3は「…のがたしか」との言い方で、確実にいることを述べる。
二、日中両国語に対応する漢語「关系?感化」の翻訳
原文:但这大约因为年龄的关系,我却并未蒙着一毫感化,所以竟完全忘却了。
訳文1:しかしたぶんまだ年がいっていなかったからだろう。私はすこしも感化を受けなかったから、それですっかり忘れてしまったのだ。
訳文2:たぶん年齢のせいだろうか、私はそういうことにさっぱり関心がなかった。そのため見忘れてしまったのである。
訳文3:それも年齢の関係で、わたしは未だかつて感化を受けたことがないからまるきり覚えていない。
€L茉U文1は「関係」を飛ばして、意訳で年齢の話を表す。訳文2は「せい」という日本語の特別な言葉遣いで、原文の言外の意も文字面に引っ張っていた。訳文3は直訳で、「関係」をそのまま使われた。
€L堋父谢工摔膜い啤⒃U文1と訳文3は漢語そのままを使われた。訳文2は「関心がなかった」との別の言い方で、「感化を受けなかった」という言葉と意味が通じる。
三、色彩に関する形容詞の翻訳
原文:先前的紫色的圆脸,已经变作灰黄,而且加上了很深的皱纹。
訳文1:昔の小麦色をした丸顔は、もう灰色に変わり、しかも深いしわもきざまれている。
訳文2:昔のつやのいい丸顔は、いまでは黄ばんだ色に変り、しかも深い皺がたたまれていた。
訳文3:紫色の丸顔はすでに変じてどんよりと黄ばみ、額には溝のような深皺が出来ていた。
€L茉U文3は原文の色彩をそのまま訳したが、訳文1と訳文2は生き生きと真にせまっている。また、訳文2とは「つや」のイメージが日本語母国語者に納得しやすいと思う。色彩に関する形容詞の違いによって、日中両国の色彩における認識が異なるのであろう。
四、連体修飾語の翻訳
原文:那手也不是我所记得的红活圆实的手
訳文1:その手も私のおぼえている赤くまん丸にふくらんだ手ではなく
訳文2:私の記憶にある血色のいい、まるまるした手ではなく
訳文3:その手もわたしの覚えていた赤く丸い、ふっくらしたものではなく
€L堋概颏椁唷工衔铯诓郡椁瘟Δ摔瑜盲仆鈧趣送瑜撙驇·婴拼螭胜胍馕钉扦ⅳ搿!袱蓼毪蓼搿工悉瑜盲皮い毪长趣虮恧埂ⅳ蓼俊袱蓼毪蓼毪趣筏砍啶蠓弧工趣いρ匀~がある。したがって、「まるまる」は愛情も含めている。つまり、訳文2の「血色のいい、まるまるした手」のイメージは原文にそっくりだと思う。
五、格助詞「と」、および副助詞「も」の活用
原文:母亲和我都叹息他的景况
訳文1:母も私も彼の暮らしを思ってため息をついた
訳文2:母と私とは彼の境遇を思ってため息をついた
訳文3:あとで母とわたしは彼の境遇について歎息した。
€L茉U文1の「も」は副助詞として、類似した事柄を列挙したり同様の事柄がまだあることを言外に表したりする。訳文2また訳文3の「と」はまとまりのものとして列挙することを表す。しかし、「も」は偶然にも一致するニュアンスがあると思う。
おわりに
以上の十五例文において、故郷2にある語句を感動詞?副詞?名詞?形容詞?動詞?助詞にわけて、それぞれの日本語訳を分析した。筆者は日中両国語に対応する漢語の翻訳に深く関心を持っている。これからは、関連資料を集め、理論的なものも合わせて、研究を進めようと思う。
参考文献:
[1]『新明解』国語辞典.三省堂.
[2]『広辞苑』.(第五版),岩波書店.
[3]皮细庚著.日语概说.上海外语教育出版社.
关键词:新明解;広辞苑;日语概说
中图分类号:H36 文献标识码:A 文章编号:1009-0118(2011)-11-0-01
一、感動詞「哦」の翻訳、また副詞「确乎」の翻訳
原文:哦,我记得了。我孩子时候,在斜对门的豆腐店里确乎终日坐着一个杨二嫂,人都叫伊“豆腐西施”。
訳文1:ああ、思い出した。子どものころ、筋向いの豆腐屋にたしかに一日中楊二嫂がすわっていて、みんな「豆腐屋小町」と呼んでいたものだった。
訳文3:おおそう言われると想い出した。わたしの子供の時分、すじ向うの豆腐屋の奥に一日坐り込んでいたのがたしか楊二嫂とか言った。彼女は近処で評判の「豆腐西施」で…
€L苤泄Zの感動詞「哦」の訳語はまた「ああ?そうそう?おお」という三つの感動詞である。「ああ」という感動詞はここで、物事に感じて出す声(驚き?悲しみ?喜び?嘆きなどを表す)との意味である。「そう」は感動詞として、相手の言葉をごく軽く気持ちで肯定したり問い返したり何かを思いついたりした時などに出す語である。「おお」は思いついた時などの感動の声である。つまり、この三つの感動詞は意味が大体同じである。しかし、位相においては、注意すべきところがある。皮细庚の『日语概说』P394にある「感叹词中有一部分词语在使用时有男女之别。主要为男性使用的词语有ほう?おお?おおい?なあ?いよう等」によると、「おお」は男性用語ということがわかる。すなわち、訳文1と訳文2は人称にこだわらないが、訳文3は主人公の性別をも考慮した。
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二、日中両国語に対応する漢語「关系?感化」の翻訳
原文:但这大约因为年龄的关系,我却并未蒙着一毫感化,所以竟完全忘却了。
訳文1:しかしたぶんまだ年がいっていなかったからだろう。私はすこしも感化を受けなかったから、それですっかり忘れてしまったのだ。
訳文2:たぶん年齢のせいだろうか、私はそういうことにさっぱり関心がなかった。そのため見忘れてしまったのである。
訳文3:それも年齢の関係で、わたしは未だかつて感化を受けたことがないからまるきり覚えていない。
€L茉U文1は「関係」を飛ばして、意訳で年齢の話を表す。訳文2は「せい」という日本語の特別な言葉遣いで、原文の言外の意も文字面に引っ張っていた。訳文3は直訳で、「関係」をそのまま使われた。
€L堋父谢工摔膜い啤⒃U文1と訳文3は漢語そのままを使われた。訳文2は「関心がなかった」との別の言い方で、「感化を受けなかった」という言葉と意味が通じる。
三、色彩に関する形容詞の翻訳
原文:先前的紫色的圆脸,已经变作灰黄,而且加上了很深的皱纹。
訳文1:昔の小麦色をした丸顔は、もう灰色に変わり、しかも深いしわもきざまれている。
訳文2:昔のつやのいい丸顔は、いまでは黄ばんだ色に変り、しかも深い皺がたたまれていた。
訳文3:紫色の丸顔はすでに変じてどんよりと黄ばみ、額には溝のような深皺が出来ていた。
€L茉U文3は原文の色彩をそのまま訳したが、訳文1と訳文2は生き生きと真にせまっている。また、訳文2とは「つや」のイメージが日本語母国語者に納得しやすいと思う。色彩に関する形容詞の違いによって、日中両国の色彩における認識が異なるのであろう。
四、連体修飾語の翻訳
原文:那手也不是我所记得的红活圆实的手
訳文1:その手も私のおぼえている赤くまん丸にふくらんだ手ではなく
訳文2:私の記憶にある血色のいい、まるまるした手ではなく
訳文3:その手もわたしの覚えていた赤く丸い、ふっくらしたものではなく
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五、格助詞「と」、および副助詞「も」の活用
原文:母亲和我都叹息他的景况
訳文1:母も私も彼の暮らしを思ってため息をついた
訳文2:母と私とは彼の境遇を思ってため息をついた
訳文3:あとで母とわたしは彼の境遇について歎息した。
€L茉U文1の「も」は副助詞として、類似した事柄を列挙したり同様の事柄がまだあることを言外に表したりする。訳文2また訳文3の「と」はまとまりのものとして列挙することを表す。しかし、「も」は偶然にも一致するニュアンスがあると思う。
おわりに
以上の十五例文において、故郷2にある語句を感動詞?副詞?名詞?形容詞?動詞?助詞にわけて、それぞれの日本語訳を分析した。筆者は日中両国語に対応する漢語の翻訳に深く関心を持っている。これからは、関連資料を集め、理論的なものも合わせて、研究を進めようと思う。
参考文献:
[1]『新明解』国語辞典.三省堂.
[2]『広辞苑』.(第五版),岩波書店.
[3]皮细庚著.日语概说.上海外语教育出版社.