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【摘 要】翻译是将一种语言转化为另一种语言的过程。西方理论家纽马克就曾提出“重视语境交流”的翻译模式,即尽可能使译作读者与原作读者有相同的感受,换言之,尽可能实现原作风格重现。然而,翻译是一项极复杂的过程,完全对等的翻译不存在,在重现原文风格的过程中不同译者可能有不同的处理模式,而结果可能大相径庭,本论将从人物的称谓方式入手,探寻最佳的原文再现模式。
【关键词】翻訳;呼び方;原文スタイル
一、始めに
翻訳とはある言語を他の言語に移し変える営みと理解されている。ニューマークは「コミュニケーション重視の翻訳」という理念を提出した。これは翻訳の読者に、オリジナルの読者が得たのとできる限り近い効果を与えようとする翻訳手段であるが、実は、翻訳作業を行う場合は、異言語における対応語の欠落と文化の違いがあるので、翻訳者自身の芸術的な判断と創造的な手段が働いている。だから、完全な等価の翻訳を得ることが出来ない。翻訳者はできる限り近い効果を与えようと努力している。
夏名漱石は近代日本の有名な作家で、「国民の作家」と称えられている。「坊っちゃん」が漱石の前期作品の代表作で、この作品において漱石は日本人に好まれる民間文学の「落語」という方法を採用した。ユーモラス的かつ軽快で、そして風刺に満ちた作品のスタイルを作り出した。「坊っちゃん」の中国語訳について、筆者は陳徳文氏、劉振瀛氏、胡毓文氏と開西氏の四種類の訳本を手に入れた。本論文では、「坊っちゃん」中の呼び方から、訳文が原作のスタイルあるいは訳者の自分なりのスタイルどちらを保っているか、原作のスタイルをどのようにすれば再現できるかなどの問題にめぐり、四種類の訳本を比較対照しながら、検討してみようと思う。
二、「坊っちゃん」の呼び方翻訳について
2.1 一人称「おれ」の中国語訳について
例文1:母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。
陳:母亲去世后第六年的新年,父亲也中风死了。当年四月,我从某私立中学毕业。
劉:俺娘死后第六个年头的正月,俺爹得了中风死去了。当年的四月,俺就要从一家私立中学毕业。
胡:娘死后的第六年正月,爹也中风死了。当年四月,我在一所私立中学比了业。
开:母亲死后第六年的正月,父亲突然中风死了。这年的四月里,我在某私立中学毕业。
広辞苑」によると、「おれ」は「一人称。男女共にまた目上にも目下にも用いたが、現代では主として男が同輩以下のものに対して用いる、荒っぽい言い方」である。以上の例文から見れば、劉訳は「俺」と訳した。これは多分「おれ」の当用漢字は「俺」であろう。しかしながら、中国語の「俺」は北方の方言の一人称で、日本語の「おれ」は、第一人称として、俗っぽい、尊大な口ぶりを持っているが、田舎くささを感じさせる言葉ではない。田舎を軽視する「江戸っ子」を「俺」に訳するのは原文のスタイルを壊した。中国の読者に主人公が実は田舎くさい若者ではあるまいかという疑問を与えるかもしれない。夏名漱石が小説に払った苦心を中国の読者に伝わない。これと共に、「俺娘俺爹」「娘爹」は北方地域で用いる方言で、言葉遣いの地域的色彩が強く、原文にもふさわしくない。「母亲父亲」という標準語の方が原文のスタイルにふさわしい。
2.2 自称詞「ひと」の中国語訳について
例文2:向うは一度で済む。こっちは同じ所作を十五返繰り返している。少しはひとの了見も察してみるがいい。
陳:别人只一次,我却要做十五次,也得体谅体谅人家的苦处呵!
劉:对手搞一次就完事,可俺却要重复十五次同样的动作。也应该稍微体谅体谅人家的心情嘛。
胡:你想,对方只要来那么一次就算了事,而我,同样的动作要做十五回。总该多少替我想想吧。
开:他们每人只来一次,我就要重复十五次同样的动作,也得稍稍替别人想想啊!
まず陳、劉が「人家」に訳した。中国語において、話し手が自分自身のことを‘人家’と称する場合がある。この用法については「实用现代汉语语法」の中に‘稍有不满情绪’(やや不満な気持ちを持っている)という記述が見られる。そして、鈴木孝雄の研究によると、現代日本語において、話者が相手に対して自分のことを「ひと」と称することができるのは、「話者が相手に対して、自分の権利や尊厳が侵害されたことに対する不満、焦燥、怒り、拒否といった心理的対立の状態にある場合に限られる」という結論である。中国語の「人家」と日本語の「人」がこの文脈の下で、合致している。言葉の裏にある坊っちゃんの気持ちまで伝わってくる。そういうわけで、「人家」は「我」より原文の雰囲気を表す。开訳の「别人」が曖昧で、他人を指しているという理解も出来るし、自分を示しているという理解もできる。忠実性が失ってくる。
2.3 主人公の名前とあだ名の中国語訳について
例文3::母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。
陳:母亲死后,阿清越发疼爱我了。
劉:按娘死后,清婆就更加爱俺了。
胡:娘死了以后,阿清婆更加疼爱我了。
开:母亲死了以后,清对我更加宠爱了。
下女清も「坊っちゃん」中で重要の主人公である。坊っちゃんを可愛がる清がいつも自分の小遣いで坊っちゃんに食べ物を買ってあげ、坊っちゃんも四国の中学校に赴任した後も、よく清に手紙を書いた。母がなくなった坊っちゃんにとって、清は母見たいな存在であろう。「阿清、清」が直接に訳したが、二人の間の特別な感情が読み取れない。「この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。」という文脈から見れば、清はお年寄りであることが推測できる。というわけで、「清婆、阿清婆」の訳文が原文のスタイルを伝わってくる。
三、終わりに
本論文は以上の分析結果に基づき、次のように、まとめてみたい。
まず訳者は原作のスタイルを念頭に置きながら、原文を理解すべきである。小説を文字だけで理解するものではなく、文化、社会、背景といろいろな要素も含まれている。たとえば、「江戸っ子」、「落語」など日本独自の文化要素への理解、原文はオリジナルは規範語を使うなら、ファイナルも規範語を使うべきである。
次は訳者が細かいことを疎かにしては、スタイルの再現にとって、マイナスの要因となる恐れがあるので、注意を払わなければならない。言語形式の構造への分析により、言葉の意味が出てくるかもしれないが、実はこういう文脈の中において、普通に見られる総称詞、他人のことを示す名詞ではなく、自称詞として使われる場合もある。
最後に主人公の名前とあだ名を訳する場合、訳者は人物の間関係と性格をよく理解しなければならない。文学作品の主人公の名前を象徴している意味を持っていることも珍しくない、性格、運命などを含まれている場合も少なくない。あだ名は使えば使うほど、この人の属性がくっきりと浮き彫り、読者の脳裏に強いイメージをつける仕組みもある。だから、訳者が局部に見るだけではなく、全体と統一する翻訳すべきである。
本論文はまだ浅いもので、今後はもっと広く、深く翻訳手法を考えたい。
【参考文献】
[1]夏目漱石.哥儿[M].陈德文,译.海峡文艺出版社,1986.
[2]夏目漱石.哥儿[M].刘振瀛,吴树文,译.上海译文出版社,1987.
[3]夏目漱石.哥儿[M].胡毓文,译.人民文学出版社,1989.
[4]夏目漱石.哥儿[M].开西,译.人民文学出版社,1959.
[5]《广辞苑》 第五版 岩波书店
[6]王向远.中国日本文学翻译史[M].北京师范大学出版社,2001.
【关键词】翻訳;呼び方;原文スタイル
一、始めに
翻訳とはある言語を他の言語に移し変える営みと理解されている。ニューマークは「コミュニケーション重視の翻訳」という理念を提出した。これは翻訳の読者に、オリジナルの読者が得たのとできる限り近い効果を与えようとする翻訳手段であるが、実は、翻訳作業を行う場合は、異言語における対応語の欠落と文化の違いがあるので、翻訳者自身の芸術的な判断と創造的な手段が働いている。だから、完全な等価の翻訳を得ることが出来ない。翻訳者はできる限り近い効果を与えようと努力している。
夏名漱石は近代日本の有名な作家で、「国民の作家」と称えられている。「坊っちゃん」が漱石の前期作品の代表作で、この作品において漱石は日本人に好まれる民間文学の「落語」という方法を採用した。ユーモラス的かつ軽快で、そして風刺に満ちた作品のスタイルを作り出した。「坊っちゃん」の中国語訳について、筆者は陳徳文氏、劉振瀛氏、胡毓文氏と開西氏の四種類の訳本を手に入れた。本論文では、「坊っちゃん」中の呼び方から、訳文が原作のスタイルあるいは訳者の自分なりのスタイルどちらを保っているか、原作のスタイルをどのようにすれば再現できるかなどの問題にめぐり、四種類の訳本を比較対照しながら、検討してみようと思う。
二、「坊っちゃん」の呼び方翻訳について
2.1 一人称「おれ」の中国語訳について
例文1:母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。
陳:母亲去世后第六年的新年,父亲也中风死了。当年四月,我从某私立中学毕业。
劉:俺娘死后第六个年头的正月,俺爹得了中风死去了。当年的四月,俺就要从一家私立中学毕业。
胡:娘死后的第六年正月,爹也中风死了。当年四月,我在一所私立中学比了业。
开:母亲死后第六年的正月,父亲突然中风死了。这年的四月里,我在某私立中学毕业。
広辞苑」によると、「おれ」は「一人称。男女共にまた目上にも目下にも用いたが、現代では主として男が同輩以下のものに対して用いる、荒っぽい言い方」である。以上の例文から見れば、劉訳は「俺」と訳した。これは多分「おれ」の当用漢字は「俺」であろう。しかしながら、中国語の「俺」は北方の方言の一人称で、日本語の「おれ」は、第一人称として、俗っぽい、尊大な口ぶりを持っているが、田舎くささを感じさせる言葉ではない。田舎を軽視する「江戸っ子」を「俺」に訳するのは原文のスタイルを壊した。中国の読者に主人公が実は田舎くさい若者ではあるまいかという疑問を与えるかもしれない。夏名漱石が小説に払った苦心を中国の読者に伝わない。これと共に、「俺娘俺爹」「娘爹」は北方地域で用いる方言で、言葉遣いの地域的色彩が強く、原文にもふさわしくない。「母亲父亲」という標準語の方が原文のスタイルにふさわしい。
2.2 自称詞「ひと」の中国語訳について
例文2:向うは一度で済む。こっちは同じ所作を十五返繰り返している。少しはひとの了見も察してみるがいい。
陳:别人只一次,我却要做十五次,也得体谅体谅人家的苦处呵!
劉:对手搞一次就完事,可俺却要重复十五次同样的动作。也应该稍微体谅体谅人家的心情嘛。
胡:你想,对方只要来那么一次就算了事,而我,同样的动作要做十五回。总该多少替我想想吧。
开:他们每人只来一次,我就要重复十五次同样的动作,也得稍稍替别人想想啊!
まず陳、劉が「人家」に訳した。中国語において、話し手が自分自身のことを‘人家’と称する場合がある。この用法については「实用现代汉语语法」の中に‘稍有不满情绪’(やや不満な気持ちを持っている)という記述が見られる。そして、鈴木孝雄の研究によると、現代日本語において、話者が相手に対して自分のことを「ひと」と称することができるのは、「話者が相手に対して、自分の権利や尊厳が侵害されたことに対する不満、焦燥、怒り、拒否といった心理的対立の状態にある場合に限られる」という結論である。中国語の「人家」と日本語の「人」がこの文脈の下で、合致している。言葉の裏にある坊っちゃんの気持ちまで伝わってくる。そういうわけで、「人家」は「我」より原文の雰囲気を表す。开訳の「别人」が曖昧で、他人を指しているという理解も出来るし、自分を示しているという理解もできる。忠実性が失ってくる。
2.3 主人公の名前とあだ名の中国語訳について
例文3::母が死んでから清はいよいよおれを可愛がった。
陳:母亲死后,阿清越发疼爱我了。
劉:按娘死后,清婆就更加爱俺了。
胡:娘死了以后,阿清婆更加疼爱我了。
开:母亲死了以后,清对我更加宠爱了。
下女清も「坊っちゃん」中で重要の主人公である。坊っちゃんを可愛がる清がいつも自分の小遣いで坊っちゃんに食べ物を買ってあげ、坊っちゃんも四国の中学校に赴任した後も、よく清に手紙を書いた。母がなくなった坊っちゃんにとって、清は母見たいな存在であろう。「阿清、清」が直接に訳したが、二人の間の特別な感情が読み取れない。「この婆さんがどういう因縁か、おれを非常に可愛がってくれた。」という文脈から見れば、清はお年寄りであることが推測できる。というわけで、「清婆、阿清婆」の訳文が原文のスタイルを伝わってくる。
三、終わりに
本論文は以上の分析結果に基づき、次のように、まとめてみたい。
まず訳者は原作のスタイルを念頭に置きながら、原文を理解すべきである。小説を文字だけで理解するものではなく、文化、社会、背景といろいろな要素も含まれている。たとえば、「江戸っ子」、「落語」など日本独自の文化要素への理解、原文はオリジナルは規範語を使うなら、ファイナルも規範語を使うべきである。
次は訳者が細かいことを疎かにしては、スタイルの再現にとって、マイナスの要因となる恐れがあるので、注意を払わなければならない。言語形式の構造への分析により、言葉の意味が出てくるかもしれないが、実はこういう文脈の中において、普通に見られる総称詞、他人のことを示す名詞ではなく、自称詞として使われる場合もある。
最後に主人公の名前とあだ名を訳する場合、訳者は人物の間関係と性格をよく理解しなければならない。文学作品の主人公の名前を象徴している意味を持っていることも珍しくない、性格、運命などを含まれている場合も少なくない。あだ名は使えば使うほど、この人の属性がくっきりと浮き彫り、読者の脳裏に強いイメージをつける仕組みもある。だから、訳者が局部に見るだけではなく、全体と統一する翻訳すべきである。
本論文はまだ浅いもので、今後はもっと広く、深く翻訳手法を考えたい。
【参考文献】
[1]夏目漱石.哥儿[M].陈德文,译.海峡文艺出版社,1986.
[2]夏目漱石.哥儿[M].刘振瀛,吴树文,译.上海译文出版社,1987.
[3]夏目漱石.哥儿[M].胡毓文,译.人民文学出版社,1989.
[4]夏目漱石.哥儿[M].开西,译.人民文学出版社,1959.
[5]《广辞苑》 第五版 岩波书店
[6]王向远.中国日本文学翻译史[M].北京师范大学出版社,2001.